深夜の工場に連れて行かれる話

2013/05/20

深夜の工場に連れて行かれる話 日常的に誰かと飯を食ったりどこかへ出かけたりする習慣をもたない。人と会って飯を食ったりするのは非日常的な場合に限られる。なにかしら個人的に心なり状況なりが振れていることがあるから友人に会って飯を食ったりどこかへ行ったりするのであって、その逆じゃない。暇だから人を集めてゴルフをやってみても終わったあとになにかが前進しているようには思えないのだ、いまのところは。腕を競うというよりもみんなでなにかを確認する作業をやっているように思えるのだけど、なにを確認すべきなのかがよくわからない。そうすると居場所がない。居場所がないと僕は困る。みんなも困る。そういう状態が経験的に身に染みているのでもう端から断ってしまう。

 世の中の会合に日常的な会合と非日常的な会合の二つがあるとすれば、僕は前者に参加せず、後者の方に進んで乗る。不思議なもので、ゴルフの誘いに乗るタイプの人は非日常の匂いが含まれている誘いには乗らない。たとえば深夜、唐突に誰かからメールが飛んでくるような種類の誘いにはゴルファーは参加しない。もちろん突然の誘いだから仕事や家庭の都合と調整をつけるのが難しいのだろうと思う。誘う方もそういうのはわきまえているので断ったって後腐れはない。でもそれだけが理由じゃないような気がする。きっとよくわからないものに対する嗅覚が鋭いんじゃないだろうか。ちゃんとメールの文面からそういう匂いを嗅ぎ分けるのだ。

 で、僕は僕で匂いを嗅ぎ取るのだけど、そういうのに乗ってしまう。そういう匂いのする会合こそが本当に意味と目的のある会合だと考えているので、必ず乗る。棲み分けがしっかりできている。役割分担。餅は餅屋。そういうことを繰り返していると、なぜだかわからないが深夜の工場に車で連れて行かれることが多いのである。こう書くとなんだか怖いな。別にそこで殴られたり沈められたりするわけじゃなくて、「ちょっと深夜の工場にドライブに行かないか」と誘われることが多くなるのだ。「適当にドライブに行かないか」と言われて車を走らせているうちにいつのまにか深夜の工場に向かっているというパターンもある。とにかく結果的に僕は工場に連れて行かれる。深夜の。

 一時期、工場の写真を撮影するのがちょっとブームになっていたような記憶がある。写真集を本屋で見た気がする。そういう背景があって行き先に工場が選択されるのかもしれない。そのブームがなかったとしたら「深夜に工場に行こう」というのはもっと怖い誘いに聞こえるかもしれない。たとえば「森に行こう」と相手が言い出したら怖い。でも「深夜の森ブーム」が起こったあとでなら、深夜の森いいね、なかなか洒落ている、と思うかもしれない。そういうこと。なんにしろ、僕は工場が好きなので結構なことだ。工業地帯で生まれ育ったので落ち着く。誰もいないし、大きな人工物がちゃんと動いている(ように見える)ところがいい。けっこう近くまで寄って行って見れるところもいい。パイプを触れたりもする。動物園で象を見るのもいいけど、ダイナミズムでは工場も負けていない。

 それで工場をうろうろと徘徊して、ラーメン屋なりファミレスなりで飯を食って帰ってくる。そんな経験がこれまでに四回あった。直接つながりのない四人の友人が、僕を夜中に召還して深夜の工場に連れて行ったのだ。その状況にはもうひとつ共通点があって、四回とも特に会合の趣旨や動機については触れずにただくだらないことを喋りながら工場に行って帰ってきた。でもあとになって(場合によっては年単位であとになって)誘った相手が「実はあのときにはこれこれこういう個人的な問題を抱えていて、どうすべきかちょっと悩んでいた」みたいなことを言うのだ。そのときに言えよ、と思うのだけど、誰もそのときには言わない。みんなあとになってから言う。からくりがわからない。世の中にはわからないことがたくさんある。