独り言をいう老婆

 近所の公園でぼんやりしていたら噴水を挟んで反対側のベンチに座った老婆が独り言を言っていた。こっちまで聞こえるほど大きい声で言っていたわけではない。手話で言っていたのだ。僕は大学のサークルで手話をやっていたことがあるので手話を読むことができる。だから水音に邪魔されずそれが読めた。手話は「てにをは」に相当する表現があまり明確ではなく、文脈や役割を空間に配置することによって単語間の意味をつなぐのだけど、距離が遠くて細部は読み取れなかった。単語を羅列するとだいたいこんな感じだった。

 「記憶」「とても」「記憶」「あなた(ここで噴水のそばにいた少女を差した)」「たくさんの場所、記憶」「母親、一緒に」「記憶」「しかし」「水、記憶」

 記憶が多かった。あるいは思い出か。単語を文にしようと考えてみたがうまく意味がまとまらなかった。独り言だから意味なんてなかったのかもしれない。それとも独り言じゃなくて手話の練習をしていたのだろうか。白髪が腰まで伸びたお婆さんだった。髪型だけを見ると路上生活者の風情だけど、着ている服や鞄は奇麗で高級そうな物だった。世間には素性のわからない人がたくさんいる。

 それはそれだけの話なのだけど、22歳の頃にやはり見知らぬ老婆から「キサマの十年後が見てみたいもんだな」と唐突に声をかけられたことをふと思い出した。僕が知る限りでは「キサマ」という二人称を使う人間はデビルサマナーの葛葉キョウジとこの老婆だけだ。踏切の真ん中ですれ違ったときだった。夕方だった。僕は大学生で、ジーンズにサンダルを履いていて、レンタルビデオ屋で借りたライフ・イズ・ビューティフルのビデオと夕食の唐揚げ弁当を手に持って部屋に帰るところだった。