バック・トゥ・ザ・フューチャーを見た

2013/07/15

 バック・トゥ・ザ・フューチャーをまた見た。ドクを見ていると気分が落ち着く。
 
 バック・トゥ・ザ・フューチャーという映画は、ドクとマーティーがどうしてあんなに仲がいいかということについて説明が一切されていないところがおもしろさの要だと思うのだ。これってけっこう度胸がいる設定だとは思いませんか。僕は思う。制作会議では、なにかそこへ説明を付け加えようという意見が絶対出たはずだ。だってマーティーは全然ギークじゃない、クラスのスターみたいな少年じゃないか。スポーツもできるし喧嘩も強い。年齢も離れすぎている。自然に仲良くなった、で済ませるのはちょっときつい。その設定は唐突だ、無理がある、と会議で(今日は発言を一度もしていなくて、なにか口を開くタイミングを探していた)誰かに言われてしまえばとても言い返せない設定のように思える。マーティーが眼鏡をかけた性格の暗い内気な少年だったら、まだ話はわかるんだけど。

 で、そうなると「昔から家が隣同士で仲良くなった」とか、「ドクが発明品でマーティーの命を救ったことがある」とか、「ドクは変わり者の学校の理科の先生だ」とか、そういうふうに二人の距離感を近づける意味付けをサラッとでも入れてしまうのが人情ではないか、というような気がする。でもそういうサラッとも説明されていない。つながりが全然見えてこない。わからない。不思議だ。

 劇中では他の出来事の因果関係についてえんえんと頭をひねったり口を出したりしている二人組が、そもそもどうして仲良くなったのかということが説明されていないのはかなり奇妙なことだと思う。最初は気になってしょうがなかった。でも見ているうちに、その問答無用の絶対的な前提がこの映画の主旨でありもっとも面白いポイントであるような気がしてくる。それはつまり理由や原因や過程を説明する必要さえない、男の子だけがもっているある種のプリミティブな特徴が年代を超えた二人を無条件に結びつけうるということの証明であり……という話を一緒に見ていた友人に説明していたら「よくわからないけどあの車が消えるときに火が出るのが格好いいよ」と言われた。たしかにあの車が消えるときに火が出るのは格好よかった。あまり物事を難しく考えすぎるのはよそう。そうしよう。