僕はいつか浮浪者になると思う

2014/06/09

 今にはじまったことではないのだけど「いつか自分は浮浪者になるだろうな」という予感が頭からぬぐえない。明日や明後日じゃないにしろ、きっといつか自分は浮浪者になるだろうと思ってしまう。そこまで確実な予言でないにせよ、「仮に自分が最終的に浮浪者になったとしても、それは日本にとってものすごく異常な出来事ってわけではないよな」と思ってしまう。

 もう少し正確に言うと、「いついかなる場合に浮浪者になっても生き抜けるように備えておかねば」という強迫観念のようなものがある。なぜか。ひとつは確率的な問題だ。ある日突然空から月が消えてなくなるよりは、僕が浮浪者になることの方が高い確率で起こるだろうと思うからだ。物事を発生する確率の高い順番にきちんと並べて、ひとつずつちゃんと対策を考えておくというのはすこしでも長く生き延びるために合理的な姿勢のように思う。

 もうひとつはそれが個人的な問題であるからだ。ある夜に空から月が消え、それまでつりあっていた引力が崩れて地球に大きな災害がおとずれたとしても、それは僕の個人的な問題ではないので、僕が個人的に対応すべきことでもないし、できることもない。きっと世界中の賢い人々が一丸となってなんとかするだろう。シドニアの騎士でいうところのガウナに立ち向かうみたいな感じで。NASAなどもすごくがんばってくれるに違いない。でも僕が突然浮浪者になったとしても誰も助けてくれない。それがどんなに理不尽な理由であっても自分でなんとかするしかない。

 そういうわけで僕は浮浪者のみなさんを見ているといつも連帯感のようなものを感じる。そしていつか自分がそういった暮らしをすることになったときにそなえ、生き抜くためのノウハウを吸収しておこうと観察する。住めば都というけれど、よくつくりこまれた住処は秘密基地みたいでなかなか快適そうに見える。そういえば前に一度、ためしに公園にダンボールをもっていって一晩寝てみようと思い実行したことがあった。でも腰が痛いし虫に刺されるしで「とても朝まですごすのは無理だ」と判断して深夜3時ごろに引き上げてきてしまった。たしか二十代の終わり頃の夏だ。

 だからせめて自分の住処を建てるノウハウぐらいは身につけておきたい。そう思って川べりに並んでいる彼らの家(と呼んでいいだろう、僕は彼らに敬意をもっている)を見ると、みんな取り決めたように青いビニールシートで家をつくっている。例外はほぼない。これは些細なことだけど困った問題だ。いったいどこであの青いビニールシートは手に入るんだ? もし僕が今浮浪者になったとしたら、前に花見かピクニックのときに買った赤・黄・青の三色のチェック柄みたいなビニールシートを使うしかない。もしくは家族連れが公園に捨てていったミッキーマウスのプリントの入ったビニールシートを拾ってきて使うしかない。なにしろ選り好みはできない立場なのだ。でもそんなビニールシートを使っている家はひとつもない。みんなきっちりと青いシートだ。

 もしかすると浮浪者の社会にも格差や差別みたいなものがあって、家の素材に青いビニールシートを使わないと馬鹿にされるのかもしれない。小学校の図工の時間に使う彫刻刀の種類がひとりだけ違うと馬鹿にされたりするじゃないですか。お兄ちゃんのおさがりを持ってきたりすると。そういう差別意識みたいなものがやはり浮浪者の社会にもあって、ビニールシートの色ひとつ違うだけでも仲間はずれにされてしまうのかもしれない。別に仲間をつくりたくて浮浪者になるわけじゃないけど、きっと仲間はずれにされると大変なことも多いだろう。炊き出しの時間だって教えてもらえないかもしれない。ちょっと散歩している間に、家にいたずらされて壊されてしまうかもしれない。

 だから僕が浮浪者になったときはiPhoneやタブレットPCなどを使っていつでもAmazonから必要なぶんだけ青いビニールシートを購入できるようにしようと思う。そうすれば仲間はずれにされることもないだろうし、「悪いけどネットでガスコンロを注文してくれないか?」などと周囲から頼られるに違いない。「Yahoo!天気」で雨や台風の情報を教えてあげればきっとみんな喜ぶだろう。おなかがすいたらウェブサイトからドミノピザを頼めばいい。本はかさばるから、Kindle Paperwhiteを使ってジョジョリオンの新刊なども電子書籍で読もう。つくづくITスキルを身につけておいてよかった。