液体インベーダー

 液体インベーダーという小説をご存知だろうか。「少年SF・ミステリー文庫」というシリーズの中の一冊で、海外のSF小説を子供向けに読みやすく翻訳した本だ。シリーズは全部で20冊あり、液体インベーダーはその14冊目にあたる。

 僕は小学生のころにこの小説を読んだことがあった。たしか夏休みの読書感想文を書くために読んだ。学校の図書室から一冊選択するように先生が指示したので、それでいい加減に手に取ったような気がする。タイトルの「インベーダー」という語感がテレビゲームを連想させたのが目をつけた原因だったかもしれない。借りたときにはすでにボロボロで、セロテープでツギハギがしてあり、紙が焼けていた。タイトルがタイトルなだけに、触れただけでなにかのウィルスが爪の間から感染してきそうな古い本だった。ずいぶん長く自宅の机の上に置いてあったように思うので、一夏のあいだ借りていたのだろう。

 感想文になにを書いたかはすべて忘れた。本の内容もおぼえていない。ただ、当時は漫画とゲームばかりで本を読まなかった僕が、なにかしらの本を読む楽しさらしきものに触れたような記憶がおぼろげにある。記憶を遡ってもこれより以前に活字の本をまともに読んだ記憶がない。だからたぶん僕のファースト読書体験にあたる。

 ここでもし「クレヨン王国」か「ドリトル先生物語全集」を手に取っていれば、僕はもう少しメインストリートに近いところを歩く読書家になっていたのかもしれない。そして他の子供たちと共通の話題を得た僕は、他者と話題を共有する楽しみを覚え、社交性がすくすくと成長し、いつしかスポーツも万能になり、20代のうちに結婚し、男の子と女の子を一人づつもうけ、ローンを組んで狭いながらも落ち着く家を買い、日曜日には家族で車にのってドライブに出かけるような30歳になっていたに違いない。しかし望む望まざるに関わらず、僕の読書はこの本から始まった。

 きのう歩いていたら突然そのことを思い出した。きっかけは特になく、この画像の黄色い表紙が記憶によみがえった。昔読んだときも季節が夏だったからだろうか。しかし出てくるのは表紙の記憶ばかりで内容がさっぱり思い出せない。そこで、せっかくだから手に入れてみようと思った。しかし絶版になっていたらしく、Amazonに新品がなかった。中古品は数点出品されていた。でもそれらは定価より少し高かったので躊躇した。そこでネットで図書館検索をしてみると、蔵書がいくつかの場所にみつかった。まず国会図書館にあった。しかしできれば貸し出してほしかったので、大田区の図書館を探した。大田区には図書館がけっこうたくさんあるのだ。検索結果によると、下丸子図書館に一冊だけあることがわかった。

 で、借りに行った。下丸子図書館は非常に古風な図書館だった。気のせいか僕の小学校の図書室にも似ていた。そこで海外書籍の本棚を端から眺めてみたのだけど見つからない。もう一度調べると、どうやら書庫にあるらしい。書庫にある本を取り出してもらうのは初めてである。なんだか、非常に専門的な学術研究のためにこの図書館にしかない過去の文献を探し求めてわざわざ遠方から足を運んだ研究者のような気分になった。しかし探しているのはすべての漢字にフリガナが振ってある少年向けのSF小説なのだ。

 書庫から本を持ってきてもらうのを待つ間、もしかすると貸し出す理由を尋ねられるのではと考えた。「なぜこんな髭面の大人が液体インベーダーなんていう児童向けの本を借りたいのですか」と聞かれた場合、正当な理由を答えられる自信がなかった。しかし理由は尋ねられなかった。そのかわり「貴重な本なので取り扱いに注意してください」と言われ、いくつかの扱いに関する注意事項を記載したプリントが本の間に差し込まれた。なくされると補充できないのだろう。下丸子図書館はとても丁寧に運営されていた。

 で、帰って読んでみた。おそらく原著からかなり端折って子供向けに噛み砕いているのだろう、平易な文章であっという間に読めた。読み返してみてもストーリーがほとんど思い出せなかったが、異常に面白いという点だけは記憶どおりだった。三つ子の魂百までという言葉のとおりだ。液体インベーダーと人間が対立する話なのだが、登場人物の一人一人の立場と役割が明確でわかりやすい。

 原著は1930年代に書かれたらしい。もう少しで一世紀前の書物になる。興味があれば下丸子図書館で借りるとよいです。来週、返しておきます。