上野駅の歩道橋とエル・グレコ展

 上野の東京都美術館でやっているエル・グレコ展に行った。広告を見るまで名前も知らない画家だったのだが、その美術展には「無原罪の御宿り」という大きい絵があるようだったので、それを見上げるのが目的だった。首を上げて大きい絵やビルを見上げるのはたのしいことだ。

 普段は人ごみの多いところに足を踏み込まないよう丁寧に生活圏をコントロールしているので、真っ青に晴れた・春の・休日の・人で賑わった・上野公園という場所はなかなか新鮮だった。まるで政治的な施策の一環として用意された風景のようだった。東京は今日もしっかりと賑わっているということを諸外国にアピールする必要があるのだ。きっと。僕はそんな上野を四百年ぶりに棺から出て来たルーマニアの吸血鬼みたいな顔つきでうろうろした。

 上野駅で降りたことなんてほとんどないはずなのだが、JR上野駅と京成上野駅の間の歩道橋に見覚えがあった。よく思い出してみると二年くらい前に成田空港に行くときに僕はそこを通ったことがあった。そのころ僕は仕事で中国と日本を狂ったように往復していた。パスポートを見るとなにかの運び屋なんじゃないかと思えるほど日本を出たり入ったりした判子が押してある。いつもなら品川から成田エクスプレスに乗って空港へ行くのだけど、その日は大雪が降って成田エクスプレスが止まってしまったのだ。それで慌てて別の電車を探して、上野からスカイライナーに乗り継いでいこうと考えその歩道橋を渡ったのだ。結局スカイライナーも止まっていて鈍行で成田空港まで行くことになったのだけど、なんとか離陸には間に合った。

 単にJRと京成線を乗り継いだだけなのだが、なぜその歩道橋のことを憶えているかというと、慌てていた僕はそこで派手にすっ転んだのだ。コンクリートは雪でかちかちに凍っていたし、僕は歩きにくいレッドウィングのエンジニア・ブーツを履いていた(大連はおそろしく寒いので行くためには専用の防寒装備が必要だった)からすべったのだ。きれいに足をとられて、一瞬で視界が空を向いて真っ青になった。中学の柔道の授業のときに、柔道部のやつに本気で大外刈りをかけられたとき以来の転倒だった。おかげでコートはびしょ濡れになるし、リモワのスーツケースは階段を転げ落ちて行くし、右手を体の下敷きにしたから手首がものすごく痛んだ。買ったばかりの999.9の眼鏡のフレームがすこし曲がっていて視界も歪んでいた。出張慣れしていたという油断もあってフライトの時刻にはギリギリだったから、起き上がって急いで駅に向かってもうまく電車に乗れるかわからない。空港についたらついたで飛行機が飛ばないかもしれないし、飛んだら飛んだで待っているのは大連の寒さだ。それはもう本当に寒いのだ。もう一度言うと、それはもう、本当に、寒いのだ。さらに言えば仕事のプロジェクトは炎上していてスケジュールは舵の壊れた船みたいに迷走していた。そんなときに、いったいなんだって転ばされる筋合いがあるのか。こんなのってないぜ。冬の青空を見上げたまま状況をまとめて考えると、もしかするとこれは「立ち上がれない転倒」なのではないかという気がしてきた。きっと人生には立ち上がれる転倒と立ち上がれない転倒の二種類があるのだ。生きている間に百回転ぶ人もいれば二百回転ぶ人もいるだろう。なるべく転ばないにこしたことはないのかもしれないし、たくさん転んだ方が強くなるという考え方もあるかもしれない。ただひとつだけ確実なのは、最後の一回だけはみんな起き上がれないということだ。宮本武蔵もアレキサンダー大王も最後の転倒だけは起き上がることができなかったのだ。

 でも手首は軽く痛むだけでとりあえず動けなくはなかった。それから3ヶ月間くらい、右手をある角度にもっていくと電気を流されたように痛んだので、ひびくらいは入っていたのかもしれない。とにかくその時点では、まあ起き上がれないほどの痛みではなかった。階段を転がっていったスーツケースが三回くらい大きく回転しながら弾んだ挙げ句に地面に激突してトラックに吹っ飛ばされて西郷隆盛像に激突して粉々になっていれば諦めもついたのだけど、期待に反してスーツケースはずるずると階段をすべり落ちて行って一番下の段あたりでそっと止まった。なんとも中途半端な被害だ。とてもしみったれた、現実味のあふれる被害だ。騒ぎようもない。結局、すこしへこんだスーツケースを引っ張って電車に乗った。

 そういうことがあったのでその歩道橋のことをよく憶えていた。それから上野公園に入ったところには熊の形をした電飾が飾ってあった。昼だからもちろん電気は点いていないが、いつか夜桜を見にきたときにそれが点灯しているのを見たような記憶があった。たしか大学生の頃だ。だからすくなくとも僕が上野に来たのはこれで三回目であるという計算になる。

 また別の日、飲み会で上野の話題になった。その場にいた僕以外の全員は、上野という場所についてまったく同じ形をした共通の風景を共有しているような顔で話をしていた。みんなの頭のうしろにはケーブルが刺さっていて、外付けのハードディスクに上野の記憶が共有されているようだった。上野.jpg。しかし僕はエル・グレコ展や真冬の転倒や熊の電飾やなんやかやがあったので、みんなと同じようにうまくそんな顔ができなかった。僕は上野についてひどく偏った知識と経験しか持ち合わせていない。西郷隆盛像を正面から見たこともないし、レストラン「じゅらく」に入ったこともない。そのせいで、どうも自分はみんなと同じ顔をする資格があるようには思えなかった。
 
 上野の話題は続いていたので、ためしに僕は「あの熊の電飾って、一時的な設置かと思ったけど、もう十年くらいあるよね。いつかは西郷隆盛の像と同じぐらい名物になるのかな?」と言ってみた。その場にいた親切な誰かが「熊の電飾のことはよくわからない」と答えてくれて、話題はまた桜の話にもどった。僕は面倒くさくなって隣のテーブルを見た。海外の人たちが座っているテーブルだった。エル・グレコ展には肖像画がたくさんあって、それがとても印象に残っていたので、僕はしばらくひとりでその肖像画のことを思い出した。キリストとか聖人とかの絵が多く展示されていた美術展だったが、僕は絵心がないのでどうしても「キリスト教ってすごいんだな」という感想が先行してしまう。でも肖像画を集めたコーナーはとても印象に残った。行ったこともない国の、もう死んでしまった人たちの顔の絵が額縁に入れてたくさん並べられているというのは、わざわざ言うまでもなくとても不思議な風景だ。

ジェットセットラジオ

jetsetradio ジェットセットラジオという昔のゲームがPS3でダウンロード販売されていた。ローラースケートみたいな靴を履いたキャラクターが街中を滑り回るゲームだ。もともとは10年ぐらい前に発売されたゲームで、渋谷などの実在の街をモデルにしたステージが出てくるのが面白かった。なにより音楽がよかった。

 それが復刻版で出たのでひさしぶりにプレイしたわけだが、やはり音楽はよいままだった。Guitar Vader の Magical Girl と Super Brothers が収録されていたのでしばらく聞いていた。おそろしいことにゲームからはすでに古典の香りすら漂っていた。ジェットセットラジオが古典の扱いになってしまうとは、10年というのはおそろしい歳月だ。2000年が懐かしくなることなんて永遠にないと思っていたのに。どうやら僕の頭の中のカレンダーはいつまでたっても199※年のままで、20※※年と聞くと無条件に未来をあらわす意味合いの数字として解釈されるようになってしまっているらしい。まるで北斗の拳の世界設定みたいだ。まあ西暦の一桁目が変わったんだからしばらくついていけなくても仕方ない。それにしても、とにかく音楽がいい。Bout the City も Miller Boll Breakers もいい曲だ。

 Magical Girlのギターを聞いていたら Ride on shooting star のイントロを思い出したので the pillows のアルバムも引っ張りだして聞いた。フリクリもいいアニメだった。特に Last Dinosaur をBGMにハル子がまくしたてる次回予告が好きで、そこだけ編集してまとめてある。記憶はないが、生まれて初めて映画館に連れて行ってもらったのは「王立宇宙軍オネアミスの翼」だったらしい。物心つく前からガイナックス漬けだったというわけだ。エヴァンゲリオンを地上波で放映していた1995年には14歳だった。傷みやすい大人になるのもうなずける話だ。

キャベツ太郎

キャベツ太郎 キャベツ太郎というスナック菓子が好きだ。味もおいしいし、謎めいた雰囲気がいい。スナックにくっついている青のりのことをキャベツと称するだけならまだ話はわかる。しかし、パッケージに描かれている警官のコスチュームを着たカエルの絵がわからない。太郎というのは日本の男性の名前だ。そして商品に付随する情報の中で唯一、男性性らしきものを持ち合わせているのはこのカエルしかいない。だからきっと彼の名前がキャベツ太郎なのだろう。そう思うのだけど、何度見てもやはり彼はキャベツではなくカエルなのだ。ただ、キャベツとカエルには緑色という共通項がある。ふうむ。

 毎回そういうことを考えながら食べる。先週の燃えるゴミの日に、僕はキャベツ太郎の空き袋の入ったゴミ袋をマンションのゴミ捨て場に捨てた。捨てるときにふと他のゴミ袋が目についた。そこにある誰かのゴミ袋の中にも同じキャベツ太郎の袋が入っていた。このマンションには僕の他にもキャベツ太郎を食べた人がいるのだ。その事実を理解した後、僕はゴミ袋をそこに重ねて置いた。

 それから燃えるゴミの日が来るたびに、僕はそこに捨ててあるゴミ袋のことを気にかけるようになった。人のゴミ袋をちらちら見るなんてあまり品のいい趣味とは言えないが、別に不法行為というわけでもない。半透明なんだし、一瞥するぐらいの権利はあるだろう。そう思ってゴミを捨てに行くついでに見ると、キャベツ太郎の空き袋が入ったゴミ袋がいつも必ずそこにあることに気がついた。中をよく見ると空き袋はひとつやふたつではなく、奥の方にはいくつも空き袋があるみたいだった。

 日を重ねるごとにだんだんそのことに対する興味が膨らんできた。そんなに大量のキャベツ太郎を食べるやつはどんな顔をしているんだろう。好奇心をおさえきれなくなった僕は、ためしに朝早起きして駐輪場で待ち構え、ゴミ捨て場にやって来る人々を眺めてみることにした。しばらくすると僕と同じマンションに住んでいる人々がまばらに姿を見せはじめ、ゴミをそこへ捨てて行った。スーツを着て会社へ出かけるついでにゴミを捨てて行く人もいたし、パジャマ姿で肩をふるわせながらゴミを捨ててまた部屋にもどっていく人もいた。なにを思いついたのか、ゴミ捨て場までもってきたゴミ袋を持って部屋に引き返していった人もいた。捨ててはいけないなにかが中に入っていることに気がついたのかもしれない。とにかく僕はそこでゴミ袋が山になるのを待っていた。副次的な情報ではあるが、僕の部屋の上や横や下の部屋ではいつもこんな顔をした人たちがご飯を食べたりお風呂に入ったりしていることがわかった。

 しかしキャベツ太郎のパッケージの入ったゴミ袋を捨てにきた人は誰もいなかった。すっかり体が冷えてしまったので、僕はあきらめて部屋に引き返すことにした。エレベーターに乗って自分の部屋のある階のボタンを押してひとつあくびをした。2階を通過したときに、扉についている小さな窓の外に警察の帽子をかぶった緑色の人がゴミ袋を持って立っているのがちらりと見えたが、エレベーターはすぐにそこを通り過ぎていった。