友人から「ドラクエとFFってなにが違うんですか」という問いを投げられた。その友人はゲームに興味がないので、ちょっとした場つなぎの会話のつもりだったのだろう。でも、それは大きなミステイク、だった。1980年代にテレビゲームとともに生まれ、育ってきた人間には軽率に答えられる問いではない。深遠な問いだ。野球とサッカーの思想の違いをあらためて聞かれるぐらい素朴で難解な問いだ。どうしてボールをひとつ用意したら、ある人々は棒でひっぱたき始めたのに、ある人々は蹴り始めたのか?
これに対して僕は以下のように回答した。
「ファイナルファンタジーは道ばたを歩いているときにキャラクターがひとりきりで表示される。二人連れのときも、四人組のときも、画面には一人だけが表示される。で、戦闘が始まると、まるで最初からそこにいたかのように仲間が出てくる。あまり直感的じゃない。はじめてやったときはそれがうまく飲み込めなくて混乱した。ファイナルファンタジーの世界観というのは画面の表示をひとつとってもこのように記号的である。『本当は四人で一緒に歩いているんだけど、これはゲームだから便宜的に一人だけのキャラクターがシンボルとして描かれているんだ』とこっちの頭の中で読み替えないといけない。設定やストーリーもごちゃごちゃしてるし、説明もあんまり親切じゃない。最初はわけがわからないが、きちんと頭の中に理解の道筋ができると、自分が専門家になったみたいで気分がよくなる。
一方で、ドラクエはそうではない。四人連れで歩いているときはちゃんと主人公の後ろに残りの三人が一列縦隊でついてくる。仲間が増えると列が長くなり、『最初はひとりきりだったが、だんだん仲間が増えて来たぞ』という事実が目に見えて体感できる。話の筋もわかりやすい。難しい用語とか設定も(あまり)出てこない。みんながしっかりわかるように親切にひとつひとつ説明してくれる。魔王がいて王様がいる。このように、ドラクエとFFの違いは、キャラクターの表示形式に代表される部分にあるのだと思う」
だいたいそういうようなことをしゃべったのだけど、僕はかなり長くしゃべった。途中からなにを言っているのか自分でも全然わからなくなった。ゴルベーザとかデスピサロといった敵役の名前も口に出したような気がする。僕がしゃべり終わると友人はドリンクバーにジュースを汲みに行った。戻って来ると話題が変わった。僕は反省した。もうこの手の会話に、考えがまとまってもいないのに迂闊に本腰を入れてしゃべるのはよそうと何度も心に決めたのだ。もっとさらっとしゃべればよいのだ。けどついやってしまう。女の子に「おもしろい漫画ある?」と聞かれて、「ジョジョ」とか「覚悟のススメ」とか「ハチワンダイバー」とか「ヘルシング」とか「魍魎戦記マダラ」とか「魔神冒険譚(アラビアン)ランプ・ランプ」とか「マインド・アサシン」と答えるのはもうよそうと何度も心に決めたので、その過ちは犯さなくなった。そういうときは「ワンピース」とか「スラムダンク」とか言うことに決めている。しかしドラクエとFFの話題は盲点だった。僕はまたひとつ処世術を身につけた。ドラクエとFFの違いについてたずねられても真面目に考えて答えてはいけない。「ドラゴンボールの絵みたいなやつがドラクエで、90年代のヴィジュアル系バンドみたいな人が出て来るのがFFだよ」と答えればよいのだ。今度からそうしよう。
ちなみにジョジョは完全にメジャーになったので最近はわりと話が通じるようになった。話題の乏しい僕としてはありがたいことだが、なんだか損をしたような気もする。中学生の頃はジョジョが好きだというとまるで死体写真の愛好家みたいに差別的な扱いを受けたのに。残酷だとか絵が気持ち悪いとか言われてさ。