パシフィック・リムを見た

 「風立ちぬ」を見に映画館へ行ったのだけど、いつのまにかパシフィック・リムを見ていた。見終わったら「風立ちぬ」を見ようと考えながらパシフィック・リムを見た。おもしろかった。巨大ロボットと巨大怪獣が戦っていた。映画の中で怪獣は Kaiju! と呼ばれていた。

 見ているうちに、パイロットが搭乗しているロボットのコックピットが敵の巨大怪獣(ないしはロボット)から物理的な干渉を受けるシーンを自分がとても愛好しているということに気がついた。パシフィック・リムにはいくつかそういうシーンがあった。エヴァンゲリオンで言うと初号機が参号機のエントリープラグを握りつぶすシーンだ。ゼータ・ガンダムで言うとウェイブライダーの先端がシロッコに突き刺さるところだ。ああいうシーンがあると異なる二つのスケールがちゃんと体感的につながる。

 見終わって映画館を出たらどこかでクリスタル・キングの「愛をとりもどせ」の歌詞が流れていた。誰かの携帯の着メロかなにかのようだった。北斗の拳の主題歌だ。「愛をとりもどせ」は何度聞いても「愛で・空が・おちて・くー・るー」の「おちて・くー・るー」のところの歌い方が、信じられない。たとえ1万回生きたとしても「落ちてくる」という言葉をこんな音程で「おちて・くー・るー」と歌おうだなんて自分には到底思いつけないと思う。「You は shock!」なんて歌詞も思いつける気がしない。

 「風立ちぬ」は見ずにかえった。

自炊の基準

 自炊と自炊ではない食事の線引きがよくわからない。自炊をしていますか? と問われればYES、と答えるのだけど、いつもちょっとうしろめたい気分になる。僕は本当に自炊をしているのか? としばらく頭の中で考え込んでしまう。

 たとえばある日の夕食、僕は夜遅くにパン屋さんに行って値引きされたパンを買った。本筋と関係ないけれどパン屋さんがとても好きだ。その日につくったパンは翌日にもちこせないから、夜になると値引きされるという仕組みがシンプルでとてもわかりやすい。そらそうだよな、と思う。路地裏の自動販売機を見ると、いつどこで誰がつくったジュースが飛び出て来るのかわからない不気味さがある。けれどパン屋さんは不気味ではない。パン屋さんがパンをつくってその場所でパンを売っているのだ。パン屋さんのそういうところが好きだ。話を戻す。値引きされたパンを買ったのだけど、これは明らかに自炊ではない。パン屋さんがつくって売れ残ったパンを僕が買ったのだ。カップラーメンも自炊とは呼べないだろう。電子レンジで暖めるだけの料理も自炊と呼ぶには違和感がある。この辺は明確に「自炊ではない」部類に入る。

 それでは自炊側を考えてみると、自分で野菜をきざんで豚肉を切って炒めたら、これは完全に自炊だろうと思う。焼き魚も自炊だし、チャーハンも自炊だ。その調子でスパゲティのことを考えようとすると、そこで考え込んでしまう。スパゲティは乾麺をお湯で戻している。それを自炊と称していいのか? おそらく一般的な日本の家庭ではスパゲティの麺を小麦からつくってはいないだろうし、僕もご多分に漏れず出来合いの乾麺を買ってきて茹でるわけだけど、それは自炊なのか? カップラーメンと乾麺のあいだの差はなんだ? スパゲティで言うなら、デュラムセモリナとパスタマシンを使って生麺をつくることが自炊ではないのか? そもそもデュラム小麦ってなんだ? デュラムって?

 こういうことを考えだすと麺類はほとんどグレーゾーンに入ってしまう。冷凍うどんも50食分ぐらい買いだめして、まるで業務用みたいに冷凍庫にぎっしりつめているけど、これも全部だめだ。冷凍されているし、自炊とはとても呼べない。やはり自炊と言ったら野菜の炒め物だ。これはあきらかなことだ。一度、あきらかなところに立ち戻って考え直そう。そう思うのだけど、スーパーマーケットに行くとご丁寧に炒め物用に複数の野菜を切ってパックしてくれたものが売っていたりする。きざんでおきました! みたいなことが書いてある。これを買って帰って僕が炒めた場合、はたしてそれは自炊と呼べるのか? 包丁と自炊の間にはなにか関係が? なまじそんなものを見つけてしまったおかげで、今度はキャベツを半分に切ってラップしてあるものでさえどう考えていいのかよくわからなくなってきた。だからキャベツを丸ごと買って帰ってみた。それでようやく「俺は自炊をしたのだ」という気分になった。でも炒め物はあまった。丸ごとひとつは多すぎる。

 魚を塩焼きにして食べた次の日なんかはわりと胸を張って「自炊をしたよ」と言えるのだけど、その隣にインスタントの味噌汁やパックのお豆腐や納豆を並べていたことを思い出すと、自炊という単語の後ろに(?)がつく。自炊した納豆ってどういうのだ?