とうふを食べる話

とうふを食べる話 スーパーでとうふを買ってきてパックを開けて器に落とす。かたすぎない木綿がよい。やわらかすぎない絹でもいいかもしれない。くらべたことはないが僕は木綿だ。本当はとうふ屋さんで買ってきたらいいのかもしれないが、あいにく僕の家の近くにはとうふ屋さんがない。そういえばこれまでにとうふ屋さんでとうふを買ったという記憶もない。売っている商品がとうふだけなんて、いったいどれだけニッチな商売なんだろう、とうふ屋さん。逆Amazon。憧れる。とにかく、頃合いのいいおとうふだ。器は万能の白いプレート皿とか味噌汁用の器とかを使ってもいいけれど、せっかくだからいい感じの器を用意しよう。ちょっと手触りがざらっとしたようなやつだ。

 とうふを入れたらかつおぶしを一袋その上からかける。「ちょっと多いな」と思うぐらいの量をかけてしまう。しょうゆをかけてとうふを何口か食べたころには、かつおぶしはいつのまにかとけてなくなってしまうのだ。スパゲティにかけた粉チーズみたいに。かつおぶしはそういう種類の薬味なのだ。だから僕はとうふが見えなくなるぐらいかけてしまう。

 もし余力がある日にはそこへ玉ねぎを添えるとなおよい。しかしそうするのであれば剃刀のように薄くスライスした玉ねぎをほんのちょっとだけ盛らないといけない。玉ねぎとかつおぶしとでは量の調整が真逆なのだ。もしもカットがぶれて厚みができてしまったり、使い残すのをおっくうがって全部刻んで使い切ってしまったりすると、ものすごく辛くなってしまう。正確に包丁でカットをして、残った玉ねぎをしっかりとラップして冷蔵庫へ保存するだけの手間がかけられる自信が持てるときにだけチャレンジするのがいい。自信がないとだいたい失敗して、致命的なまでに辛くなってしまうのでやらない方がいい。

 最後にしょうゆをかけるとさえない男のささやかな夜食ができる。箸を口にくわえてそのざらっとしたお皿をリビングに持って行くと一層さえない気分になる。

 ふととうふの入っていたパッケージを眺めてみると、それは群馬県にある会社が生産したとうふだった。とうふというものがどういった行程で生産されているのかはわからない。経営的な理由があって会社の住所は群馬県だが、とうふ自体は都内で生産しているのかもしれない。しかし僕は便宜的に群馬県から大量にパッケージされたとうふがトラックで運ばれてくる様子を想像した。トラックが揺れるたびにとうふ達も荷台でぷるぷると(商品価値を損なわない範囲で)揺れるのだ。そうやって運ばれて来たとうふが大田区に住むさえない男の胃袋に入ると、その男は暗い部屋でキーボードを叩いてどこか遠くにあるサーバーへとうふの話を電子データとして転送し、その中で孤独に回転しているハードディスクの上に記録するというわけだ。不思議なものだ。