スリッパを履くと暖かい

 先週、スリッパを履くと足が冷えないということに気がついた。僕はこれまで30年間生きてきたけれど、その日までスリッパというものの存在意義がまったくわからなかった。外を歩くなら靴を履けばいいし、家にいるなら脱げばいい。内履きというのは、単にお客さんが来たときに歓迎の意を表するための装飾だと思っていたのだ。たとえば祝儀袋の水引のように。

 しかしフローリングの床の上で冬をすごすのはあまりにも寒かった。僕はフローリングの部屋で一人暮らしを始めた5年前からというもの、毎年11月から3月まではほとんど意思のある生物として活動することができなかった。椅子の上かソファの上に横たわり、人間の形によく似た鉱物のように動かずに一日をすごしていた。

 でも先週、スーパーマーケットでふとスリッパを見ていたら、「ひょっとしてこれを履けば足が寒くないのではないか」と思った。それほど高くはなかったし、足の湿気を温度に変換するような特殊な素材でできているという売り文句が横に書いてあったので、そそのかされて買ってみた。帰ってそのスリッパを履いてみると驚くほど寒さが軽減された。おかげでこの冬はすこしまともな生物としてすごすことができそうだ。

 なんだか馬鹿みたいな話だけど、そんなふうになにかの拍子に発想の死角みたいなところに入り込んでしまう物事がある。キッチンの蛍光灯の意味がわかったのも先月ぐらいだ。「こんなところ照らしていったいなんの意味があるんだ」と思っていたけど、つけてみたらとても野菜が切りやすかった。でも箸置きの意味はまだわからない。箸なんて直に机の上に置けばいいじゃないかと思うが、それもいつか理由がわかるときが来るのかもしれない。

Kindleとフィリップ・マーロウ

 Kindle Paperwhiteを買った。片手で持って読める重さで、E Inkで目に優しく、かつバックライトもついているので布団の中で読める。漫画はちょっと文字が潰れるのが気になるけど、活字を読むにはうってつけだ。安いし。

 で、洋書もいくつか買ってみた。洋書というのは店頭で目当ての作品を探すのは一苦労だし、取り寄せても嵩が張るので置き場所に困るし、Kindleストアで買ってみようと思っていたのだ。The Old Man and the Seaや、1984や、The Great Gatsbyが100円で売っていたので買ってみた。安い。

 僕の大好きなレイモンド・チャンドラーのThe Long Goodbyeもあったので買った。高校の頃に清水俊二訳の「長いお別れ」を読んで、最近村上春樹訳を読んだところだったので、次は原文を読んでみようと思っていたのだ。

 あまりにも有名な名文、名シーンが多すぎるのだけど、僕が最高に好きなシーンはここ。フィリップ・マーロウが私立探偵という自分の仕事について語るシーン。

 What makes a man stay with it nobody knows. You don’t get rich, you don’t often have much fun. Sometimes you get beaten up or shot at or tossed into the jailhouse. Once in a long while you get dead. Every other month you decide to give it up and find some sensible occupation while you can still walk without shaking your head. Then the door buzzer rings and you open the inner door to the waiting room and there stands a new face with a new problem, a new load of grief, and a small piece of money.
 ”Come in, Mr. Thingamy. What can I do for you?”
 There must be a reason.

 どうしてこんな商売を続けているのか、自分でもよくわからない。金持ちになれるわけでもないし、愉しいことがそうそうあるわけでもない。ときには叩きのめされたり、銃で撃たれたり、留置場に放り込まれたりもする。こんなことを続けていたら、とても長生きはできないだろう。二ヶ月に一度くらいは、この商売から足を洗おうと決心する。まだ頭をしっかり上げて歩けるうちに、もう少し気の利いた仕事を見つけようと。ところがそのときドアのブザーが鳴る。待合室とのあいだのドアを開けると、見知らぬ誰かがそこに立っている。その誰かは新手の問題を抱え、新手の悲しみを背負い、ささやかな金を手にしている。
「お入り下さい、ミスタ・シンガミー。どのようなお話でしょう?」
 そこには何か理由があるはずなのだ。

 この文が含まれているチャプター21は混乱と混乱の狭間の空白地帯みたいな章で、フィリップ・マーロウのわりあい日常的な仕事風景を書いている。話の本筋とは全然関係ない客が来たり、全然関係ない仕事をしたりする話がちょっと書いてある、すごく短い章だ。マーロウ自身が冒頭でそう前置きしている。

 I knew it was going to be one of those crazy days. Everyone has them.

 その日が調子はずれな一日になることは最初からわかっていた。誰の人生にもそういうお馴染みの一日がある。

 なんでこのチャプター21がそんなに好きなのか自分でもよくわからない。このシーンを読むと、メイン・プロットの異常事態で一つの石臼としての機能を果たす探偵が、他の異常事態にぶつかったときにどういうふうに処理するのかという態度が見えて、人物の厚みみたいなものを感じるからかもしれない。システム開発で言うと、あるモジュールについてのテスト・ケースが増えて信頼性が増すのに似た感じなのかもしれない。ここ以外にも、読み終わってみると「結局あれって関係ねえのかよ!」と思うような章がいくつかあるんだけど、そういう楽しみがあるのが長編小説のよいところだ。これがソースコードだと、機能しないテキストは書けない。もうちょっと正確に言うと、価値ある要件として言語化した上で機能させることができないテキストは書けない。でも言語化することで劣化してしまう価値もある。

 理由はよくわからないが、とにかく僕はここがとても好きだ。 There must be a reason.