消費税のこと

2014/06/16

 消費税が8%になるというニュースを見てどこか他の国の話だろうと思っていた。「他の国は消費税が上がったり内戦があったりして大変だ」と思っていたら日本のことだった。僕が気がついたときにはもう値上げは始まっていて、スーパーマーケットのレジで気がついた。たしかにテレビを見ない僕も悪いのかもしれないが、こういう重要なことって「テレビを日常的に見る習慣のある人」にだけ伝わればよいものなのだろーか? テレビで発信するだけでなく、各家庭のポストにハガキを投函するとかはしなくていいのだろーか? そんなの全然いいアイディアだとは思わないけれど。それとも、ひょっとして届けられてたのか? 僕が捨てちゃっただけで。とにかく、なにか僕ごときでは考えもつかないような別のうまい手段があってしかるべきだと思う。普段はテレビを見なくても大きなニュースはいつのまにか知っていることが多いのだけど、今回の値上げはなぜか耳に入ってこなかったので驚いた。スーパーもレジ袋が有料化するときはあんなに事前に告知していたのに。

 わからないのだけど、増税ってなにか目的なり期日なりがあって一時的に行うものではないのか? こんなふうに(おそらく)半永久的にダダ上がりしていく未来が待ち受けているらしいぞ、という状態で、走り出しちゃっていいものなのか? たとえば借金があるからそれを返すためにしばらく税金を増やします、と。それでうまいこと予定通りに金が集まって、借金を返せたら何月何日にまた税金を元に戻します……というふうに、元に戻すところまで、ちゃんと、計画を、たてろよ! ばかやろうが! と、誰か偉い人が言ってくれないものなのか? それとも偉い人は偉いので、税金が上がった方が得をするからそういうことは言わないのか? わからないことが多すぎる。

 消費税が3%になった日のことはよく覚えていて、そのころ僕は小学生だった。小学生なりに消費税という言葉は知っていたのだけど、手持ちの論理と常識を組み合わせて考えた結果「そんな馬鹿な、100円のものが100円で買えなくなるなんて嘘だろう。たぶん自分はまだ小学生だから仕組みをよく理解できていないだけだ」と思っていた。100円のものが必ず103円になるのではなくて、まあなにかいいことがあった日には3円多めに払ってくれたらうれしいです、ぐらいの温度のものだと決めつけていたのだ。まだ法律の力も、その一方通行性もよく理解していなかったので。それで値上げがおこなわれた日、僕は玩具のついたお菓子みたいなやつを買いに近所のスーパーマーケットに行った。「魔動王グランゾート」という子供向けアニメに出てくるロボットのプラモデルがおまけでついている食玩を買いに行ったのだ。その食玩には2種類あって、100円でサイズが小さくてショボい方と、300円で立派な方があった。僕は悩み抜いた結果、100円の方を買うことにした。

 本当は買いに行ったその日から我が国には消費税という制度がはじまっていて、もうそれが100円では買えないということは心の片隅で理解していた。しかし僕が100円の方と300円の方のどちらにするかを検討し始めたときにはまだ消費税制度は施行されていなかった。だから「こっちが考えているあいだに物の値段が高くなるなんて、そんな馬鹿な話があってたまるか」と僕は考えることにした。それで100円玉を握りしめ、「南無三」と唱えて走って出かけた。

 スーパーに入ってレジに商品をもっていくと、もちろん商品は100円では買えなかった。でも僕は「万が一本当に103円になっていたとしても、子供が100円玉ひとつしか持ち合わせがないと言えばどうにか許してもらえるんじゃないか」という卑怯な目論みをもっていたので、実はそこまでは予定通りだった。接客してくれたのはアルバイトの、たぶん高校生ぐらいの女性の店員さんだった。新人のようで、店員さんはしばらく対応に困っていたけれど、「ちょっと待っててね」と言ってその商品を持って奥の部屋に消えた。夕方でいつもは混んでいる時間なのになぜか僕の見渡せる店内には誰も他の客がいなかった。店員さんが消えた控え室みたいな扉がすこしだけ開いていたので、遠目から目を凝らしてみたけれど、中は真っ暗で全然様子がわからなかった。しかたなく暇つぶしに100円玉をいじっているうちに、「やっぱり300円の方がよかったかな」と僕は思い始めた。親指と人差し指にはさんだ100円の表と裏をしばらく交互に眺めた。そのうちに店員さんがレジカウンターの中に戻って来て、「今日は100円で大丈夫だよ」と言って3円まけて売ってくれた。彼女が責任者に対してどういう説明をしたのかはわからない。上の人も事情を納得してまけてくれたのかもしれないし、その女子高生が自分の財布から3円出してくれたのかもしれない。3円の出所は説明されなかったのでわからない。

 100円のプラモデルは予想以上にショボかった。右手と左手を前後に振るように動かすことしかできなかった。両手を何度も動かしてかっこいいポーズをつけさせようとためしたけれど、手を前後に動かすだけではどうやってもかっこいいポーズにはできなかった。それですぐに飽きておもちゃ箱の中に眠らせてしまった。やはり300円の方がよかったな、と僕は思った。小学生のころのことだ。


僕はいつか浮浪者になると思う

2014/06/09

 今にはじまったことではないのだけど「いつか自分は浮浪者になるだろうな」という予感が頭からぬぐえない。明日や明後日じゃないにしろ、きっといつか自分は浮浪者になるだろうと思ってしまう。そこまで確実な予言でないにせよ、「仮に自分が最終的に浮浪者になったとしても、それは日本にとってものすごく異常な出来事ってわけではないよな」と思ってしまう。

 もう少し正確に言うと、「いついかなる場合に浮浪者になっても生き抜けるように備えておかねば」という強迫観念のようなものがある。なぜか。ひとつは確率的な問題だ。ある日突然空から月が消えてなくなるよりは、僕が浮浪者になることの方が高い確率で起こるだろうと思うからだ。物事を発生する確率の高い順番にきちんと並べて、ひとつずつちゃんと対策を考えておくというのはすこしでも長く生き延びるために合理的な姿勢のように思う。

 もうひとつはそれが個人的な問題であるからだ。ある夜に空から月が消え、それまでつりあっていた引力が崩れて地球に大きな災害がおとずれたとしても、それは僕の個人的な問題ではないので、僕が個人的に対応すべきことでもないし、できることもない。きっと世界中の賢い人々が一丸となってなんとかするだろう。シドニアの騎士でいうところのガウナに立ち向かうみたいな感じで。NASAなどもすごくがんばってくれるに違いない。でも僕が突然浮浪者になったとしても誰も助けてくれない。それがどんなに理不尽な理由であっても自分でなんとかするしかない。

 そういうわけで僕は浮浪者のみなさんを見ているといつも連帯感のようなものを感じる。そしていつか自分がそういった暮らしをすることになったときにそなえ、生き抜くためのノウハウを吸収しておこうと観察する。住めば都というけれど、よくつくりこまれた住処は秘密基地みたいでなかなか快適そうに見える。そういえば前に一度、ためしに公園にダンボールをもっていって一晩寝てみようと思い実行したことがあった。でも腰が痛いし虫に刺されるしで「とても朝まですごすのは無理だ」と判断して深夜3時ごろに引き上げてきてしまった。たしか二十代の終わり頃の夏だ。

 だからせめて自分の住処を建てるノウハウぐらいは身につけておきたい。そう思って川べりに並んでいる彼らの家(と呼んでいいだろう、僕は彼らに敬意をもっている)を見ると、みんな取り決めたように青いビニールシートで家をつくっている。例外はほぼない。これは些細なことだけど困った問題だ。いったいどこであの青いビニールシートは手に入るんだ? もし僕が今浮浪者になったとしたら、前に花見かピクニックのときに買った赤・黄・青の三色のチェック柄みたいなビニールシートを使うしかない。もしくは家族連れが公園に捨てていったミッキーマウスのプリントの入ったビニールシートを拾ってきて使うしかない。なにしろ選り好みはできない立場なのだ。でもそんなビニールシートを使っている家はひとつもない。みんなきっちりと青いシートだ。

 もしかすると浮浪者の社会にも格差や差別みたいなものがあって、家の素材に青いビニールシートを使わないと馬鹿にされるのかもしれない。小学校の図工の時間に使う彫刻刀の種類がひとりだけ違うと馬鹿にされたりするじゃないですか。お兄ちゃんのおさがりを持ってきたりすると。そういう差別意識みたいなものがやはり浮浪者の社会にもあって、ビニールシートの色ひとつ違うだけでも仲間はずれにされてしまうのかもしれない。別に仲間をつくりたくて浮浪者になるわけじゃないけど、きっと仲間はずれにされると大変なことも多いだろう。炊き出しの時間だって教えてもらえないかもしれない。ちょっと散歩している間に、家にいたずらされて壊されてしまうかもしれない。

 だから僕が浮浪者になったときはiPhoneやタブレットPCなどを使っていつでもAmazonから必要なぶんだけ青いビニールシートを購入できるようにしようと思う。そうすれば仲間はずれにされることもないだろうし、「悪いけどネットでガスコンロを注文してくれないか?」などと周囲から頼られるに違いない。「Yahoo!天気」で雨や台風の情報を教えてあげればきっとみんな喜ぶだろう。おなかがすいたらウェブサイトからドミノピザを頼めばいい。本はかさばるから、Kindle Paperwhiteを使ってジョジョリオンの新刊なども電子書籍で読もう。つくづくITスキルを身につけておいてよかった。


黒い仏像

2014/06/02

 部屋に仏像が置いてある。真っ黒なテレビ台の上に真っ黒なテレビがあり、その脇に真っ黒な仏像が置いてある。友人がタイだかバリだかで買ってきてくれた仏像だ。そのへんのお寺で見かけるようなタイプの仏像ではない。たぶん涅槃仏というカテゴリの仏像だと思う。仏像の種類のことはよくわからないが、とにかくこう、リラックスした感じのやつだ。ちょっとゆるめの仏像。海外のお土産の人形って妙にカラフルで奇抜な色合いだったりするけれど、その仏像は真っ黒なところがよかった。気に入っている。

 ところで僕はよほど明確な理由がない限りはだいたいの家具の色に黒を選ぶせいで部屋が辛気くさい。そこへその仏像がやってきたので、とどめをさすように部屋が陰気になった。テレビも普段まったくつけないので、その一角は仏壇さながらの趣がある。最初に仏像を置いたときに「ちょっとこれは仏壇すぎやしないか?」と思ったけど、二日か三日したらそんなこと忘れてしまった。だから僕は普段、部屋に仏像があることを意識せずに生活している。

 すこし前に友人が部屋に遊びにきて「この仏像、なんなの?」と僕にたずねた。そう言われた僕は「そうか、僕の部屋には仏像があるのだった」と思い出した。友人は仏像が僕の部屋に置いてあることについてなにかコメントを述べたが、話の内容は頭に入ってこなかった。考え事をしていたのだ。友人がしゃべっている間、僕はどうして自分は仏像を置きっぱなしにしているのかを考えていた。単純に気に入っていただけなのだけれど、それは仮に気に入らなかったとしても捨ててしまうにはちょっと気が引けるアイテムなのだ。もらいものだったせいもあるが、それよりも重量によるところが大きいのだと思う。仏像の大きさに対してもうすこし重さが軽ければ「今回はご縁がなかったということで……」と捨ててしまったかもしれない。でもその仏像はずしりと重いのだ。異国の地に住む誰かの念を背負ってやってきたように重い。そのせいで捨てる気にはならず、いつまでもそこに置いてあるのだ。

 友人が帰ってからしばらくは仏像のことが意識の上にとどまるのだけど、寝て起きたらすっかり仏像のことを忘れてしまう。仏像はビジネスホテルの部屋にかけてある風景画と同じ要領で僕の部屋の中に溶けこんでしまっていて、普段は認識されないのだ。石ころ帽子的仏像。それからしばらく時が流れてまたその友人がやってきた。友人はまた仏像についてなにか述べた。どうしてその友人は僕の部屋に入るとまず一番最初に必ずその仏像に強い興味を示すのかわからない。でもたしかに、他人の部屋に入るとなにかが妙に目につくというのは僕にも経験がある。前に僕が遊びにいった誰かの部屋は冷蔵庫の前にベッドを配置しているせいで冷蔵庫のドアが45度ぐらいしか開かなかった。でも彼はそのことを特に意識していない様子で、腕をつっこんでペプシを取り出して僕にふるまってくれた。別の友人の家にはなにか専門的な用途で使うような長さの異なる針が五本セットで棚の上に置いてあった。僕はそれらが気になったが、家主は特にそれを異常だと認めていない様子だった。そういうこともあるのだ。だから友人が僕の部屋の仏像に興味を示しても全然おかしくない。おかしいのはバリかどこかからやってきた真っ黒い仏像を、無印良品で買ったテーブルとかソファと同じ程度にしか認識していない僕の方なのだ。

 そういうことを考えていくと僕の部屋には他にも異常なものがあふれているような気がしてきた。たとえば、コップの数は適切なのか? グラスが6つ、マグカップが3つあるが、それははたして一人暮らしの30代男性として適切な量なのか? 僕は文庫本のカバーを全部剥いでタイトルや著者ではなく出版社ごとに本棚に並べるけど(そうすると見映えがいいように思えたときがあったのだ)、それは猟奇的な犯罪者のもつ特徴と偶然一致していたりはしないだろうか? この歳でスヌーピーの絵がプリントされたマグカップを愛用しているのは嘲笑の対象にはならないか? ミッキーではなくスヌーピーを選択したことが、僕の意図しない形でなんらかの主義や文化を代弁・主張しているように誤解されないか? 壁にポスターの一枚も貼っていないことはどうだ? まるで証明写真の背景のためにつくったみたいな壁だけど……そもそもこの部屋の天井の隅っこには、なんでこの、梁みたいなでっぱりがあるのだ? なにかガス管的なものが通っているのだろうか? ごみ箱って、この部屋に必要か? そこにごみを捨てても誰かが定期的に片付けてくれるわけじゃないし、どうして僕は一時的にこんな少ない量の使い終わったティッシュや丸めたレシートをこの筒状のいれ物に一旦保管して、ころ合いを見てビニールのゴミ袋に移しかえているのだ? そしてそれを何年も何年もやり続けてきて、これからもずっとやり続けていくのだ? 天井に付着しているボールペンでちょんと突いたようなインクの染み、あれ、なんだ? いつついたやつだ? なんであんなところにボールペンがつくんだ?

 僕はその黒い仏像のことを考えているといつも「ガダラの豚」を思い出す。あれはおもしろい小説だった。