ローマの休日を見た

 いつか買ったDVDが出てきたので、ローマの休日をまた見た。僕はローマの休日がとても好きなのだ。見ている最中にふとWikipediaで作品のことを調べてみると、オードリー・ヘプバーンもグレゴリー・ペックもとっくに死んでいた。そう思って映画を見ていると白黒の幽霊が生者のふりをして振る舞っているように見えてきた。

 話はかわって、僕は会話の中に説明抜きで登場するようなメジャー・コンテンツの扱いが苦手だ。「名前はよく聞くし、有名な映画らしいということは知ってるけど、実際に見たことねえから詳しいことはわかんねえよ」と言いたくなるようなやつだ。たとえば僕にとってロッキーという映画はその中の一つだった。なぜか僕はそのようなメジャーに聞こえるタイトルを意図的に避けてきた。道が分かれているときには必ず裏街道を選んできたし、常にウルトラマンよりも仮面ライダーであろうとしてきた(あるいは超人機メタルダーであろうとしてきた)しかし一方で、ロッキーの話題が出るたびに自分の無知について恥じ入る経験を何度かしたことも否めない。一般的な社会生活を営む上では、エイドリアンとエイリアンの違いぐらいは前提として理解しておく必要がある。社会は学校で教えてもらえない前提知識で溢れているのだ。

 ロッキーは単なる一つの例で、人が何人か集まったときに「メジャーである」と暗黙的に判断される映画や本や音楽は他にも無数にある。しかしもちろん、前提知識として世の中のすべてのコンテンツを事前に頭に入れておくというわけにはいかない。困ったものだ。そんなことを考えつつ、ふと気が向いたのでロッキーを借りて見てみた。おもしろかった。シンプルな映画であったし、その映画が発表された当時の時代背景を調べながら鑑賞すると一層楽しむことができた。こういう調べ物が簡単にできるのがインターネットの便利なところだ。

 僕はロッキーに関するうんちくを一通り頭に入れた。翌日、友人が尋ねてきたのでそのことを語り聞かせた。撮影時のエピソードなどについて話しているうちに、誰も名前を聞いたことがないマイナーな作品について語ることよりも、ロッキーのようなドメジャーな映画について話すことの方が、今の時代においてはかえって新鮮で前衛的な行為であるような気分になった。

 話をすべて聞き終えた友人が「ロッキーというのは山登りの映画だと思っていた」と言った。僕は知らぬ間にまた一つ想像力を失っていた。