液晶テレビの部品点検

 うちのテレビが部品交換の対象商品だった。発熱する可能性があるとかなんとかというやつだ。面倒くさかったので二年ぐらい放っておいた。しばらく家を空けて中国に出張したりしていたけど、特に火を出しそうな気配はなかった。しかし気配だけで発火の予兆を察知できるほどテレビと心が通じ合っているとは考えにくかったので、思い立って電話をして、部品交換を依頼した。すると青年と中年の二人組の男性がたくさん荷物を持ってやってきた。作業中に床を傷つけたりしないためであろう、マットのようなものをたくさん敷いて作業をしてくれた。

 こういう電化製品の修理だとか、あるいは引っ越しだとかのときに、業者の人が自分の部屋に入ってきて作業をするような場合がある。これは僕にしてみるとなかなか居心地の悪い状況だ。手持ち無沙汰感が半端じゃないのだ。「さあお願いします」とテレビを指し示し、さっきまでのように寝転んで本の続きを読み始めるというわけにもいかないし、作業中の訪問者を尻目に僕は玄関で靴を磨いているというのもとりとめがなさすぎる。かといってずっと突っ立っているのも、逆に相手に気を使わせるような気がする(なにしろ一時間ぐらいかかる作業なのだ)それで仕方なくソファのへりに腰掛けていた。いつもなら僕は自分のソファの真ん中に堂々と座るのだ。そんなふうに肩身が狭そうに、へりにちょこんと腰掛けることはない。しかしそうやって座ることでなにかとうまく釣り合いが取れたような気がした。居場所を確保するのも一苦労だ。

 作業をしている青年を見ると、年齢は僕と同じか、もう少し若いように見えた。だからといって「彼女いんの?」と雑談を始めるわけにもいかないし、彼が左手の薬指に指輪をしているのも見えたので、僕はソファのへりに座ったまま黙って彼らの作業を眺めていた。彼らは僕の部屋のものには一切手を触れない。「なにかあったときに責任問題になるといけないので、訪問した際には人の家の物に勝手にさわらないように」みたいな規則があるのかもしれない。しかしそれはそれで困る場合もあるのだ。たとえばあるときは、置いてある空気清浄機が邪魔で肝心の修理作業がやりにくそうに見えた。僕はためしに空気清浄機の位置を端へ動かしてみた。するとおじさんの方が「ありがとうございます」とお礼を言ってくれて、それでずいぶん作業がやりやすくなったようだった。でもそういうのは、勝手に動かしてくれてもいいのだ。空気清浄機はすこし動かしたって爆発はしない。しかしあるときは、結構雑に物を扱われてしまう場合もあった。前に引っ越しをするときに荷物を運び出しに来たおじさんは、当時買ったばかりだった僕の液晶テレビのパネルに段ボールを思いっきり何枚も立てかけたので、僕はびっくりして抗議した。

 こういうことに線引きを考えだすときりがなくなるので、僕はなにもないベランダを眺めていることにした。しかしベランダはあまりうまい視線のやり場として機能せず、僕はそこに観葉植物のひとつでも設置しておかなかったことを悔やんだ。そして「この人たちも大変だな」と考えた。もちろん技術的にきちんと修理をしてくれれば文句はないのだが、きっと作業をする場所が場所だけに接客サービスとしての側面が強く発生してしまうのだろう。一流ホテルのように日頃から地の利をしっかり整え満を持して相手をもてなすよりも、毎回アウェーの部屋に飛び込んでサービスをしないといけない仕事の方が大変なのかもしれない。僕の家がごみ屋敷であったかもしれないわけだし、部屋中にあらゆる種類の戦艦大和の模型がずらりと並んでいる部屋であったかもしれない。そしてその模型をうっかり一つでも倒してしまったら、裁判を起こすような神経質な人が住んでいることだってあるかもしれない。

 そんなことを考えているうちに作業は終わった。二人が帰ったあと、僕は一人きりの部屋でテレビをつけてみた。「サービスで3Dテレビにしてくれたかもしれない」と期待したが、そうはなっていなかった。