赤いクレーン

 都内にあるビルの休憩室で時間をつぶさなければならない事情があって、窓際の椅子に座って外を眺めていると外で大掛かりな工事をしているのが見えた。工事の中心地点には一本背の高いクレーンが立っていた。いかにも工事現場らしいくすんだ赤色のクレーンだ。僕がいる部屋はビルの8階にあったのだが、クレーンにもちょうど同じぐらいの高さの位置に運転席みたいなものがあり、そこからクレーン本体と同じぐらいの長さの腕が右に向かって伸びていた。先端からはまっすぐ下にワイヤーが伸びていて、地面に近いところで何本か鉄骨が吊られている。なにを作っているのかはわからないし、クレーンの役割もわからないけれど、端から見ていると誰かが大掛かりなUFOキャッチャーで遊んでいるみたいに見える。
 
 窓の外から目を離して携帯電話を操作し、コーヒーを一口飲んで、机の隅に置いてあった旅行のパンフレットをいくつかめくってみて、それからもう一度窓の外を見るといつのまにかクレーンが左を向いていた。さっきとはまったく逆方向だ。そんなに大きな物がそんなに早く動くということが実感できなかったので僕は自分の記憶を吟味してみたが、やはりさっきまでクレーンは右を向いていたように思えたし、僕が目を離していた時間は二、三分ぐらいだった。

 あらためて操縦席のところを見ると小さく人影があった。操縦席はなかなか広く、ちょっとした喫煙室よりも広い空間がありそうだ。内部は暗くてよく見えないが、本棚やダイニング・テーブルがあってもおかしくないぐらいの広さに見える。きっと一人きりだろうし、入ってしまえばなかなか落ち着けそうだ。もし僕があそこで仕事をすることになったら、退屈なときには大声で歌を歌ってみたりするかもしれない。でもクレーンには気の遠くなりそうな長さの梯子が地上からその運転席までまっすぐに伸びていて、どうやらそれを使わないと運転席には入れない仕組みのようだった。あの運転手にもし子供がいたら、子供の写真をお守り代わりに懐に入れて毎日上り下りしたりしているのだろうか。微笑ましいのか憂鬱なのかよくわからない話だ。

 僕と運転手はどちらも地面からの高さがちょうど同じぐらいのところにいたので、僕はためしに自分が手元のレバーを操作して地面に置いてある鉄骨を引っ張り上げるところを想像してみたが、うまく想像できなかった。実際に自分があの操縦席のレバーを握って鉄骨を引っ張り上げたとしても、実感としてその手触りを感じられるようにはどうも思えない。運転席とその鉄骨の間にはそれぐらい距離があった。しかしもちろんその赤いクレーンは操縦席で操縦されているはずなので、そこに実感が湧かないというのはおかしいのだ。想像力が事実に追いついていない。それは「コントローラーを操作してテレビ画面の中にいるCGの大きなモンスターを倒すことに実感が湧かない」という話とはわけが違うのだ。僕は自分がクレーンの操作を誤って鉄骨を遥か下の方に小さく見える人にぶっつけてしまうところを想像したが、そんなひどいことになったとしても自分の手と出来事のあいだの連続性を把握する自信はなかった。距離や大きさというものには注意が必要だなと僕は思った。

 話は変わって、大学の友人が電車の運転士をやっているそうだ。僕がいつも乗っている電車を知り合いが運転しているかもしれないというのは妙な気分だった。乗っている人間は電車を運転している人間がどこかにいるなんて考えもしないのだ。端の車両に乗ったときにガラス越しに運転席を覗き込んでみたが、毎日毎日一日中そこに座っているというのがどんな人生であるのかまったく想像できなかった。すくなくとも地下鉄よりは地上を走る電車の方が気持ちはよさそうだ。でもどちらにせよ、机の上にペプシのおまけについてくるおもちゃを並べてコレクションしたりはできそうもない。

 ただ、クレーンや電車みたいなものを動かせるというのはなかなかわかりやすい大人の形のように思えた。自分は一人前の大人であり、毎日こういう仕事をしているのだ、ということを多くの言葉を費やして説明する必要がない。クレーンがなにをつくっているのか知らなくても、クレーンを動かしている姿というのはそれだけで十分に仕事のように見えるからだ。子供や家族に仕事のことを説明する義務をもたない僕も、自分自身に対して自分の仕事を説明しなければいけない日がある。そういうときに自分がクレーンや電車を動かすことができればもう少し話はわかりやすいのだが、あいにく僕の仕事はそのように外面的な特徴を備えていない。キーボードを叩くのが人よりも多少速いということを持ち出すぐらいしか手はないのだが、僕は昔からタイピングが速かったので、その事実はあまり役に立たない。

 そのあたりまで考えたときに「なにを考えているんですか」と隣に座っていた後輩に聞かれたのだけど、この一連のことをどのように説明すればいいかよくわからなかった。それで僕は「旅行に行こうかと思っていてね」と言って置いてあったパンフレットを適当にひとつ示した。後輩はその旅行のパンフレットに興味をもったようだった。どこかの島と青い空の写真が表紙のパンフレットだった。