自炊の基準

 自炊と自炊ではない食事の線引きがよくわからない。自炊をしていますか? と問われればYES、と答えるのだけど、いつもちょっとうしろめたい気分になる。僕は本当に自炊をしているのか? としばらく頭の中で考え込んでしまう。

 たとえばある日の夕食、僕は夜遅くにパン屋さんに行って値引きされたパンを買った。本筋と関係ないけれどパン屋さんがとても好きだ。その日につくったパンは翌日にもちこせないから、夜になると値引きされるという仕組みがシンプルでとてもわかりやすい。そらそうだよな、と思う。路地裏の自動販売機を見ると、いつどこで誰がつくったジュースが飛び出て来るのかわからない不気味さがある。けれどパン屋さんは不気味ではない。パン屋さんがパンをつくってその場所でパンを売っているのだ。パン屋さんのそういうところが好きだ。話を戻す。値引きされたパンを買ったのだけど、これは明らかに自炊ではない。パン屋さんがつくって売れ残ったパンを僕が買ったのだ。カップラーメンも自炊とは呼べないだろう。電子レンジで暖めるだけの料理も自炊と呼ぶには違和感がある。この辺は明確に「自炊ではない」部類に入る。

 それでは自炊側を考えてみると、自分で野菜をきざんで豚肉を切って炒めたら、これは完全に自炊だろうと思う。焼き魚も自炊だし、チャーハンも自炊だ。その調子でスパゲティのことを考えようとすると、そこで考え込んでしまう。スパゲティは乾麺をお湯で戻している。それを自炊と称していいのか? おそらく一般的な日本の家庭ではスパゲティの麺を小麦からつくってはいないだろうし、僕もご多分に漏れず出来合いの乾麺を買ってきて茹でるわけだけど、それは自炊なのか? カップラーメンと乾麺のあいだの差はなんだ? スパゲティで言うなら、デュラムセモリナとパスタマシンを使って生麺をつくることが自炊ではないのか? そもそもデュラム小麦ってなんだ? デュラムって?

 こういうことを考えだすと麺類はほとんどグレーゾーンに入ってしまう。冷凍うどんも50食分ぐらい買いだめして、まるで業務用みたいに冷凍庫にぎっしりつめているけど、これも全部だめだ。冷凍されているし、自炊とはとても呼べない。やはり自炊と言ったら野菜の炒め物だ。これはあきらかなことだ。一度、あきらかなところに立ち戻って考え直そう。そう思うのだけど、スーパーマーケットに行くとご丁寧に炒め物用に複数の野菜を切ってパックしてくれたものが売っていたりする。きざんでおきました! みたいなことが書いてある。これを買って帰って僕が炒めた場合、はたしてそれは自炊と呼べるのか? 包丁と自炊の間にはなにか関係が? なまじそんなものを見つけてしまったおかげで、今度はキャベツを半分に切ってラップしてあるものでさえどう考えていいのかよくわからなくなってきた。だからキャベツを丸ごと買って帰ってみた。それでようやく「俺は自炊をしたのだ」という気分になった。でも炒め物はあまった。丸ごとひとつは多すぎる。

 魚を塩焼きにして食べた次の日なんかはわりと胸を張って「自炊をしたよ」と言えるのだけど、その隣にインスタントの味噌汁やパックのお豆腐や納豆を並べていたことを思い出すと、自炊という単語の後ろに(?)がつく。自炊した納豆ってどういうのだ?

ドラクエとFFの違いについて

 友人から「ドラクエとFFってなにが違うんですか」という問いを投げられた。その友人はゲームに興味がないので、ちょっとした場つなぎの会話のつもりだったのだろう。でも、それは大きなミステイク、だった。1980年代にテレビゲームとともに生まれ、育ってきた人間には軽率に答えられる問いではない。深遠な問いだ。野球とサッカーの思想の違いをあらためて聞かれるぐらい素朴で難解な問いだ。どうしてボールをひとつ用意したら、ある人々は棒でひっぱたき始めたのに、ある人々は蹴り始めたのか?

 これに対して僕は以下のように回答した。

「ファイナルファンタジーは道ばたを歩いているときにキャラクターがひとりきりで表示される。二人連れのときも、四人組のときも、画面には一人だけが表示される。で、戦闘が始まると、まるで最初からそこにいたかのように仲間が出てくる。あまり直感的じゃない。はじめてやったときはそれがうまく飲み込めなくて混乱した。ファイナルファンタジーの世界観というのは画面の表示をひとつとってもこのように記号的である。『本当は四人で一緒に歩いているんだけど、これはゲームだから便宜的に一人だけのキャラクターがシンボルとして描かれているんだ』とこっちの頭の中で読み替えないといけない。設定やストーリーもごちゃごちゃしてるし、説明もあんまり親切じゃない。最初はわけがわからないが、きちんと頭の中に理解の道筋ができると、自分が専門家になったみたいで気分がよくなる。

 一方で、ドラクエはそうではない。四人連れで歩いているときはちゃんと主人公の後ろに残りの三人が一列縦隊でついてくる。仲間が増えると列が長くなり、『最初はひとりきりだったが、だんだん仲間が増えて来たぞ』という事実が目に見えて体感できる。話の筋もわかりやすい。難しい用語とか設定も(あまり)出てこない。みんながしっかりわかるように親切にひとつひとつ説明してくれる。魔王がいて王様がいる。このように、ドラクエとFFの違いは、キャラクターの表示形式に代表される部分にあるのだと思う」

 だいたいそういうようなことをしゃべったのだけど、僕はかなり長くしゃべった。途中からなにを言っているのか自分でも全然わからなくなった。ゴルベーザとかデスピサロといった敵役の名前も口に出したような気がする。僕がしゃべり終わると友人はドリンクバーにジュースを汲みに行った。戻って来ると話題が変わった。僕は反省した。もうこの手の会話に、考えがまとまってもいないのに迂闊に本腰を入れてしゃべるのはよそうと何度も心に決めたのだ。もっとさらっとしゃべればよいのだ。けどついやってしまう。女の子に「おもしろい漫画ある?」と聞かれて、「ジョジョ」とか「覚悟のススメ」とか「ハチワンダイバー」とか「ヘルシング」とか「魍魎戦記マダラ」とか「魔神冒険譚(アラビアン)ランプ・ランプ」とか「マインド・アサシン」と答えるのはもうよそうと何度も心に決めたので、その過ちは犯さなくなった。そういうときは「ワンピース」とか「スラムダンク」とか言うことに決めている。しかしドラクエとFFの話題は盲点だった。僕はまたひとつ処世術を身につけた。ドラクエとFFの違いについてたずねられても真面目に考えて答えてはいけない。「ドラゴンボールの絵みたいなやつがドラクエで、90年代のヴィジュアル系バンドみたいな人が出て来るのがFFだよ」と答えればよいのだ。今度からそうしよう。

 ちなみにジョジョは完全にメジャーになったので最近はわりと話が通じるようになった。話題の乏しい僕としてはありがたいことだが、なんだか損をしたような気もする。中学生の頃はジョジョが好きだというとまるで死体写真の愛好家みたいに差別的な扱いを受けたのに。残酷だとか絵が気持ち悪いとか言われてさ。

ラブホテルの間にいるおじいさん

 しばらく前に今とは別の場所に住んで会社に毎日通勤していたころに、どうしてもラブホテル街を通り抜けないと駅まで到達できないルートを毎日歩いていたことがあった。21世紀にこんな建物が残っているのかと思うような、昭和の匂いのするラブホテル街だった。けばけばしいネオンの電飾がついていて、入口にのれんみたいな布がかかっていて、「なんとか物語」とかそういう名前のついたラブホテル群だ。いったい誰が入っているんだろう、と前を通りながらいつも考えた。とてもじゃないが若者は入れないだろう。では、今この瞬間にどういう人々が利用しているのかということを考えると、朝から気が滅入ってしまう。空が晴れていれば晴れているほどわびしい気持ちになる。止まっている車の数を数えてしまったりすると最悪だ。でも数えてしまう場合もある。最悪だ。

 そうやって毎日、朝のラブホテルの風景を観察しながら歩いていると、ホテルとホテルの間の狭い路地を塞ぐように黒い車が必ず止まっていることにある日気がついた。車は鼻先をちょうど路地の先頭ギリギリまで寄せて止まっていたので、いきなり飛び出してきそうで気になるのだけど、必ず車のエンジンはしっかりと切れていて動き出す様子はなかった。うしろから別の車がきたらどうするんだろうと心配もしたけれど、その車が動き出したところも止まったところも見たことはない。僕は規則正しい生活を心がけているので1分前後の誤差の範囲で毎朝その道を通過していた。一方でその車の方もこちらに負けないぐらい堅牢に時間の管理をしているらしく、その行動規則に例外はなかった。

 車の中ではいつもおじいさんが一人で運転席に座って煙草を吸っていた。はじめのうちは探偵ではないかと考えた。きっと浮気調査のためにここで張り込みをして、ホテルから出てくる人間の写真を撮ろうとしているのだ。そうに違いない。でもそれにしては車の止め方がちょっと目立ちすぎるような気がする。それにおじいさんの風貌は探偵という感じではない。どちらかというと小綺麗な格好をしていて、金持ちそうだった。さっさとお金を稼いでしまって仕事をリタイアして余生をすごしている、と言われるとしっくりくる。このあたりのラブホテルのオーナーが客の入り具合や人通りを観察しているのかもしれない、と僕は考えた。あるいは見た目に反して、ラブホテルに入っていく人々の顔を観察するのが趣味の卑しい性癖の持ち主なのかもしれない。しかしそれらの推測はどうもしっくりこなかった。かといって聞いてみるわけにもいかない。

 とにかく、毎朝決まった時間に車に乗ってラブホテルの間の狭い路地にやってきてエンジンを切り、寝床に入ったうなぎみたいに車を横たえてその中でじっとしているおじいさんの行動の理由を僕は毎朝考えた。しかし持てる論理と想像力を総動員しても納得できそうな理由のかけらも思いつかなかった。でも実際にそういう事象が起きているのだ。理由が推察できてもできなくても、事象を否定することはできない。つけくわえるなら、それはきっと生半可な理由ではないはずだ。雨が降ろうが雪が降ろうがその車は必ずそこに止まっていた。マジな話、レンタカーを借りてきて、深夜のうちに自分が先回りをしてそこに車を止めておいてやろうかと考えた。レンタカーの値段も調べた。会社を休んで双眼鏡をもって張り込んでみようかとも思った。でもそれはルール違反のような気がしたのでやらなかった。そのうちに転勤になって引っ越しをしたのだけど、いまだにあれはどういう原理によって僕の目の前に生じていた出来事だったのかがさっぱりわからない。

 友人とファミレスでぐだぐだと話をしているときに、「ラブホテルの思い出」というテーマか、あるいは「考えの異なる他人と衝突した時にどうやって気持ちを整理するか」というテーマに話が及ぶといつもこの話が喉元まで出かかるのだけど、どうやって話していいのかよくわからないのでいつもてきとうに別の話をしていた。しかしてきとうに別の話ばかりするのはよくないと思った。それでここに書いてみました。