キャベツ太郎

キャベツ太郎 キャベツ太郎というスナック菓子が好きだ。味もおいしいし、謎めいた雰囲気がいい。スナックにくっついている青のりのことをキャベツと称するだけならまだ話はわかる。しかし、パッケージに描かれている警官のコスチュームを着たカエルの絵がわからない。太郎というのは日本の男性の名前だ。そして商品に付随する情報の中で唯一、男性性らしきものを持ち合わせているのはこのカエルしかいない。だからきっと彼の名前がキャベツ太郎なのだろう。そう思うのだけど、何度見てもやはり彼はキャベツではなくカエルなのだ。ただ、キャベツとカエルには緑色という共通項がある。ふうむ。

 毎回そういうことを考えながら食べる。先週の燃えるゴミの日に、僕はキャベツ太郎の空き袋の入ったゴミ袋をマンションのゴミ捨て場に捨てた。捨てるときにふと他のゴミ袋が目についた。そこにある誰かのゴミ袋の中にも同じキャベツ太郎の袋が入っていた。このマンションには僕の他にもキャベツ太郎を食べた人がいるのだ。その事実を理解した後、僕はゴミ袋をそこに重ねて置いた。

 それから燃えるゴミの日が来るたびに、僕はそこに捨ててあるゴミ袋のことを気にかけるようになった。人のゴミ袋をちらちら見るなんてあまり品のいい趣味とは言えないが、別に不法行為というわけでもない。半透明なんだし、一瞥するぐらいの権利はあるだろう。そう思ってゴミを捨てに行くついでに見ると、キャベツ太郎の空き袋が入ったゴミ袋がいつも必ずそこにあることに気がついた。中をよく見ると空き袋はひとつやふたつではなく、奥の方にはいくつも空き袋があるみたいだった。

 日を重ねるごとにだんだんそのことに対する興味が膨らんできた。そんなに大量のキャベツ太郎を食べるやつはどんな顔をしているんだろう。好奇心をおさえきれなくなった僕は、ためしに朝早起きして駐輪場で待ち構え、ゴミ捨て場にやって来る人々を眺めてみることにした。しばらくすると僕と同じマンションに住んでいる人々がまばらに姿を見せはじめ、ゴミをそこへ捨てて行った。スーツを着て会社へ出かけるついでにゴミを捨てて行く人もいたし、パジャマ姿で肩をふるわせながらゴミを捨ててまた部屋にもどっていく人もいた。なにを思いついたのか、ゴミ捨て場までもってきたゴミ袋を持って部屋に引き返していった人もいた。捨ててはいけないなにかが中に入っていることに気がついたのかもしれない。とにかく僕はそこでゴミ袋が山になるのを待っていた。副次的な情報ではあるが、僕の部屋の上や横や下の部屋ではいつもこんな顔をした人たちがご飯を食べたりお風呂に入ったりしていることがわかった。

 しかしキャベツ太郎のパッケージの入ったゴミ袋を捨てにきた人は誰もいなかった。すっかり体が冷えてしまったので、僕はあきらめて部屋に引き返すことにした。エレベーターに乗って自分の部屋のある階のボタンを押してひとつあくびをした。2階を通過したときに、扉についている小さな窓の外に警察の帽子をかぶった緑色の人がゴミ袋を持って立っているのがちらりと見えたが、エレベーターはすぐにそこを通り過ぎていった。

携帯電話がいらなくなった

 iPhoneを買ってよかったと思うのは、連絡先のメールアドレスを人に教えるときにgmailのアドレスを教えても変な人だと思われなくなったことだ。5年くらい前だとメールアドレスというものはアットマークの後ろにdocomoとかezwebとかvodafoneの文字が入っているのが当然で、そういうメールアドレスをもっていないと友人と連絡する手段がなかった。驚くべきことだが、僕が就職活動をし始めたときには「ドコモ以外の携帯電話は電波が悪く、企業が面接の連絡などで電話をかけてきたときにつながらなくて先方の心証を悪くする可能性がある。だから@docomo.ne.jp以外のメールアドレスが履歴書に書いてあるとそれだけで不利になる。就活を始めるなら、まずドコモに機種変更するのが当然の姿勢だ」という趣旨のアドバイスを部室で先輩から受けた。何人かはその話を信用して機種変更したが、僕はそれを聞いてドコモからauにした。立場や方向性はそれぞれ違ったが、我々はみんな頭が悪かった。

 話がそれた。iPhoneはgmailが読める。だから堂々とgmailを人に教えられる。いまどきそんなことでパソコン・オタクだとも思われない。で、gmailを教えて連絡を取り合うわけだけど、技術的な環境とは別に僕の環境も大学生の頃と変化したので、それほどメールを頻繁に打たなくなった。思い返してみると、大学生の頃はわけのわからないメールを一日中誰かとやりとりしていたような気がする。ある日は僕が誰かになにかメールを打ったら、その相手から「こっちは今こういうテレビ番組を見ている」という内容の返事が来たような記憶がある。薄気味が悪いくらい閉ざされた情報のやりとりだ。でも今はそんなメールはしなくなった。だから別に出先でメールを読めなくても、朝と晩に家のパソコンでチェックできればいい。緊急の用事や待ち合わせの時は電話をかけるし。

 そういうわけで近々iPhoneを解約して、電話だけできるようなシンプル・ケータイみたいなやつにしようと思う。別にインターネットも見ないし、どうしても調べ物がしたければ家のパソコンからアクセスする。特に使いたいアプリもない。暇をもてあましたら木のうろかアスファルトのひびでも眺めていればいい。そういうわけで本当はすぐにでも解約したいのだが、iPhoneはローンみたいな買い方しかできなかったので、もうしばらく機種変更はできないらしい。残念だ。しかし、それで税金の払い納めだと思えば気が楽だ。そうすれば月に5000円くらいかかっていたお金を払わなくて済むようになる。

 いろいろと理由をつけてみたが、年を重ねるにつれて単純に友人が減っていっただけのような気もした。まあ本当に用事があれば嫌でも連絡はくるだろう。別にマヨルカ島に住んでいるわけじゃないのだ。

ピアニスト

 結婚ラッシュだ。また友人の結婚式に行った。出不精の僕が部屋から出る時にはいつも誰かと誰かが結婚している。

 結婚式の前後になるとよくお金の話が聞こえてくる。たとえば外人の神父さんを呼ぶといくらかかるとか、賛美歌の生合唱を頼むといくらかかるとか、そういうオプションがいろいろあるらしい。その話を聞いてから、結婚式に行くたびにこれまで参加した結婚式との差分がどこにあるのかを見比べるという習慣が身についてしまった。それで会場を眺めていると、今回は音楽が生演奏であることに気がついた。僕の席の横にグランド・ピアノがあって、その前にピアニストが座って鍵盤を叩いていた。それは僕のすぐ隣だったのだが、彼女がいつの間に会場に入って来てそこに座ったのかはわからなかった。考えてみれば最初からずっとそこにいたような気もした。ピアノと同じ黒い色の服を着たその女性はずいぶん痩せていた。そういえば太っているピアニストというのは見たことがないなと思いながら、僕はそのピアニストをしばらく観察することにした。
 
 最初の曲を弾き終わると、ピアニストは両手を膝の上にそろえて置き、鍵盤のちょうど真ん中あたりに視線を落としたまま身じろぎもせずにじっとしていた。式場では誰かが感動的なことを言ったり、みんなが拍手をしたりした。親族の方が笑ったり泣いたりして、ごちそうの乗ったお皿が次から次へと運ばれてきてはさげられていった。そのあいだずっとピアニストは中央のドの音の白鍵あたりに視線を落としていた。もしかするとドではなくてファかもしれない。ピアノを弾いたことがないのでなんの音が真ん中にあるのかは知らない。とにかく真ん中あたりだ。僕は隣に座っている友人が拍手をしたときにだけ一緒に手を動かしたが、あとはずっとそのピアニストを見ていた。周囲で起こっている事象とはすこしだけ異なる位相にピアニストはいた。式の最中は黒子に徹するという規則みたいなものが契約に含まれているのかもしれない。あるいは彼女が自分自身で定めた仕事上のポリシーかもしれない。

 最初は「きっと居心地が悪いんじゃないかな」と思っていたのだが、しばらく眺めていると、無反応でお祭り騒ぎの中にただ存在しているというのはなかなか悪くなさそうに思えた。笑ったり手を叩いたりしなくても誰もピアニストのことを失礼だとか空気が読めないやつだとは思わないからだ。それにしても、いったい彼女は鍵盤の上になにを見ているんだろう。まさかレーニンの顔が見えるわけでもあるまい。とにかく、周りの空気がどのように変化しても彼女は石のようにびくともしなかった。咳払いをしたりとか、トイレに立ったりとか、暇つぶしの文庫本を取り出したりとか、思い出し笑いをしてしまうとか、一杯ぐらいシャンパンを飲んだりするかと思って僕はずっと見ていたが、とうとうピアニストは動かなかった。しかし時おり演奏が必要なタイミングが来ると彼女はちゃんと演奏を始めた。誰がどこから合図を送っているんだろう。僕はその疑問について隣の席の友人にたずねてみようかと思ったが、式はそのとき静かにしなければいけない場面だったのでなにも言わなかった。

 きっとピアノの生演奏にも値段がついていて、頼むには料金がかかるんだろう。そうすると、ピアニストという職業は結婚式やパーティから依頼を受けて、腕だけ持ってそこへ行って演奏してお金を稼いで暮らしているのだろうか。昔の歌ではないけれど、もしもピアノが弾けたならそんな生活がしてみたい。

 結局、僕はほとんどずっとピアニストを見ていた。式の途中で前に出ていった誰かが余興でハーモニカの音を鳴らしたときだけピアニストはちらりとそっちの方を見たが、すぐにまた鍵盤の上に視線を戻した。