ピアノと影牢

 ふとピアノが弾きたいと思い始めた。僕は五年に一度ぐらいの周期で楽器をさわってみたくなることがあるのだ。夏にオリンピックがあったのでそろそろかな、と思っていたら案の定そうだった。オリンピックとは周期が一年ずれているので毎回すこしずつタイミングがずれていくのだが、どこかで帳尻があったらしく今年は同時にやってきた。

 いろいろなピアノの解説サイトを見ながら部屋でさわって遊べる簡単な電子ピアノを選んでいたら、いつのまにかPSストアで影牢という初代PSのゲームを買っていた。高校生の頃にやったゲームで、ふと思い出して買ったのだ。ピアノとどう関係があるのかはよくわからない。記憶の引き出しというのは不思議なものだ。しかしとにかく僕はピアノではなく影牢を買った。ゲームの主人公は館を守る少女で、館に入ってくる侵入者を端から罠に嵌めて殺していくというゲームだった。一人きりの高校生活の思い出作りにはうってつけの品と言えるだろう。

 館の侵入者は僕が仕掛けたいろいろな罠と対峙することになる。部屋に入ると花瓶が上から降ってきたり、階段の上から岩石が転がってきたり、壁に背中を押されて電気椅子に座らされたり、床がバネのように跳び上がってふっとんでいった先で回転のこぎりに巻き込まれたりする。プレイヤーは直接相手を殴ったり蹴ったりできないので、事前にしかけた罠を侵入者がうまく踏んでくれるように期待しながらプレイをする。うまくステージをクリアできれば、この画像のように侵入者たちの死因一覧が表示される。

 布団を頭までかぶって夜更けまでPSPを握りしめてそんなゲームをやっていた。懐かしさもあり、思わず長時間プレイしてしまった。数時間してから暗い部屋の中でトイレに立つと、前を通ったときに冷蔵庫が突然倒れてきそうな気がした。洗って立ててある包丁が月の光をきらりと反射し、次の瞬間に宙に浮いてこっちへ飛んできそうだった。僕はいつもトイレの便座をきちんと下ろす癖があるはずなのだが、なぜかその日にかぎって便座が上がっていた。首を傾げながら用を足して布団に戻り、ゲームの電源を切って暗い天井をみつめていると、天井には無数の針がついていて今にも布団の上へ落ちてきそうに思えた。いったいどうしてピアノを弾いてみたいという願い事がこんな事態を引き起こすんだろうと思いながら僕は眠った。

液晶テレビの部品点検

 うちのテレビが部品交換の対象商品だった。発熱する可能性があるとかなんとかというやつだ。面倒くさかったので二年ぐらい放っておいた。しばらく家を空けて中国に出張したりしていたけど、特に火を出しそうな気配はなかった。しかし気配だけで発火の予兆を察知できるほどテレビと心が通じ合っているとは考えにくかったので、思い立って電話をして、部品交換を依頼した。すると青年と中年の二人組の男性がたくさん荷物を持ってやってきた。作業中に床を傷つけたりしないためであろう、マットのようなものをたくさん敷いて作業をしてくれた。

 こういう電化製品の修理だとか、あるいは引っ越しだとかのときに、業者の人が自分の部屋に入ってきて作業をするような場合がある。これは僕にしてみるとなかなか居心地の悪い状況だ。手持ち無沙汰感が半端じゃないのだ。「さあお願いします」とテレビを指し示し、さっきまでのように寝転んで本の続きを読み始めるというわけにもいかないし、作業中の訪問者を尻目に僕は玄関で靴を磨いているというのもとりとめがなさすぎる。かといってずっと突っ立っているのも、逆に相手に気を使わせるような気がする(なにしろ一時間ぐらいかかる作業なのだ)それで仕方なくソファのへりに腰掛けていた。いつもなら僕は自分のソファの真ん中に堂々と座るのだ。そんなふうに肩身が狭そうに、へりにちょこんと腰掛けることはない。しかしそうやって座ることでなにかとうまく釣り合いが取れたような気がした。居場所を確保するのも一苦労だ。

 作業をしている青年を見ると、年齢は僕と同じか、もう少し若いように見えた。だからといって「彼女いんの?」と雑談を始めるわけにもいかないし、彼が左手の薬指に指輪をしているのも見えたので、僕はソファのへりに座ったまま黙って彼らの作業を眺めていた。彼らは僕の部屋のものには一切手を触れない。「なにかあったときに責任問題になるといけないので、訪問した際には人の家の物に勝手にさわらないように」みたいな規則があるのかもしれない。しかしそれはそれで困る場合もあるのだ。たとえばあるときは、置いてある空気清浄機が邪魔で肝心の修理作業がやりにくそうに見えた。僕はためしに空気清浄機の位置を端へ動かしてみた。するとおじさんの方が「ありがとうございます」とお礼を言ってくれて、それでずいぶん作業がやりやすくなったようだった。でもそういうのは、勝手に動かしてくれてもいいのだ。空気清浄機はすこし動かしたって爆発はしない。しかしあるときは、結構雑に物を扱われてしまう場合もあった。前に引っ越しをするときに荷物を運び出しに来たおじさんは、当時買ったばかりだった僕の液晶テレビのパネルに段ボールを思いっきり何枚も立てかけたので、僕はびっくりして抗議した。

 こういうことに線引きを考えだすときりがなくなるので、僕はなにもないベランダを眺めていることにした。しかしベランダはあまりうまい視線のやり場として機能せず、僕はそこに観葉植物のひとつでも設置しておかなかったことを悔やんだ。そして「この人たちも大変だな」と考えた。もちろん技術的にきちんと修理をしてくれれば文句はないのだが、きっと作業をする場所が場所だけに接客サービスとしての側面が強く発生してしまうのだろう。一流ホテルのように日頃から地の利をしっかり整え満を持して相手をもてなすよりも、毎回アウェーの部屋に飛び込んでサービスをしないといけない仕事の方が大変なのかもしれない。僕の家がごみ屋敷であったかもしれないわけだし、部屋中にあらゆる種類の戦艦大和の模型がずらりと並んでいる部屋であったかもしれない。そしてその模型をうっかり一つでも倒してしまったら、裁判を起こすような神経質な人が住んでいることだってあるかもしれない。

 そんなことを考えているうちに作業は終わった。二人が帰ったあと、僕は一人きりの部屋でテレビをつけてみた。「サービスで3Dテレビにしてくれたかもしれない」と期待したが、そうはなっていなかった。

緑地でジョギング

 最近、近所にある緑地をジョギングしている。コースを一周するとだいたい1.5kmになる。

 学生のころはとにかく体育が大嫌いだった。しかし今あらためて考えてみると、僕は学校の体育の授業の様式や、自分が苦手な特定のスポーツについて不満をもっていただけで、運動そのものが嫌いかと考えると、その理由は特に見つからなかった。また、これまでもこれからも座り仕事をしている人間として、「運動をしないといずれ足腰が弱ってしまうのでは」という漠然とした思いを僕は抱いていた。30歳というのは肉体を考え直す一つのよい節目のように思えた。それでなんとなくジョギングを始めた。

 実際にやってみるとジョギングというのはなかなかいいものだった。お金もかからないし、場所もそれほど選ばない。道具も靴があればいい。なによりも一人でできるのがいい。それに比べて複数人が集まらないとできないスポーツを趣味にするのは大変だ。忙しい友達たちの時間を調整して、たまの休みに場所を確保して遠くまで出かけて行ったりしないといけない。道具を揃えるのにお金もかかるし、かさばる道具を使うスポーツなら車も回さないといけないかもしれない。

 また、ただの趣味として楽しむわけなので、それぞれの参加メンバーたちがそのスポーツにかける情熱の度合いもまちまちになる。よって、あまり重たく聞こえない「ドンマイ」と、適度な軽妙さをもった「ざけんなよ」を状況ごとに使いこなして、各自が各々の判断で場をコントロールする必要がある。しかし僕は昔からその二つの言葉を適切に発声することがとても苦手だった。僕の「ドンマイ」は離婚した直後の親友の両手をしっかりと握りしめて激励する声のように聞こえるし、「ざけんなよ」は死神が静かに肩を叩く音のように響くのだ。発声する状況の判断が間違っているのか、声質が悪いのか、なにか根本的に心構えのようなものが足りていないのか、その原因は定かではない。

 一人で走る分にはそのような心配をする必要がないのがよい。離婚も死神も無縁だ。しかし習慣的に運動をせずに座り仕事ばかりしている僕は体力がなく、最初は緑地を1週しただけで息切れがしていた。宇宙船の中で100倍の重力で特訓した孫悟空レベルの体力がなければ2週目に突入することは難しいように思えた。だからまあ嫌になったら歩こうという程度の腹で緑地へ出かけた。

 しかし、2週間ほどそれを続けるといつのまにか僕は2週走るようになっていた。きっと次は3週走れるだろうと思っていたら、なぜか3週を飛ばして4週走っていた。どうして3週が飛んで4週なんだろうと考えているうちに、6週走っていた。どうやら僕は、1をのぞく奇数を飛ばして周回数を増加させていく傾向があるということが判明した。しかしどうして自分が奇数を飛ばすのか、理由がわからなかった。それで僕はいつも偶数と奇数のことを考えながら走るようになった。どちらかといえば、僕は奇数という概念の方が好きだ。必ず奇麗に二つに割れる偶数というのは、人を言いくるめるためにうまくできた訓話のようで、どうも裏でなにか企んでいるように感じるのだ。

 偶数と奇数のことはともかく、ジョギングは金がかからなくていい。もし次に引っ越すとしても近場に緑地がある場所にしよう。